自分の人生のスタートライン
ちょっと日にちが空いてしまいましたが、今日も書いていきたいと思います。
毎日夜遅くになると、うちの近所から鳥の鳴き声のような音が聞こえてきます。何なんだろう……
さて、これまで綴ってきたとおり、僕は空っぽです(笑)
空っぽだ、もしかしてアダルトチルドレンでは?と気づいたのは今から約1年半前くらいですね。
それ以来、僕は自分らしさを取り戻すため、なるべく自分の興味の向く方へ動いてみようと心がけています。
まず、考えたのが、現状のままでは僕は一生自分の人生を生きられないのではないか、ということでした。人生1度きりなのに、やりたいことをやらないでどうするんだ?と。
僕はそれまで院進学を目指していましたが、これは敷かれたレールの上を歩いているのではないか?と一度立ち止まりました。自分でも納得していた進路のはずでしたが、根底を考え出したら、揺らぎに揺らいでしまったのです。
進学するにも、やはりお金は必要ですし、こんな中途半端な気持ちでは良くない、と思いました。
そして色々と考えた結果、家族には猛反対されながらも、とりあえず社会に出て、一人で生きてみようという結論に至りました。
とにかく家族から離れなければ、僕の人生は始まらない、と考えたんですね。
アダルトチルドレンは、自分で決められない、という特徴がありますから、自分一人しかいない環境に身を置くことで、自分で決める癖がつけられると思ったのです。
家族というのは考えものです。自分が生まれながらにして属する組織なので、やはり安心感があるとはいえ、幼児なんかは親の庇護の下でないと生きられないという面があります。そして、ある程度年齢を経たのにも関わらず、過度な干渉があると、相互に依存してしまうことにもなりかねません。
共依存的な組織になってしまうこともあるんですね。親はなかなか子が手放せず、子の自立心も養えない。しかもそれに気づかないことが多い。(片親の家庭は特に多いでしょうね……)
家族という病、というタイトルだったか、一時期新書本が話題になっていましたが、その通りだと思います。
家族といっても、一人一人は独立した個人なのです。血の繋がりがあっても、それぞれにはそれぞれの考え方、生き方があります。
僕自身も、家族が嫌いなわけではないですし、むしろありがたいと思っています。
それでもやはり離れなければ、お互いのためにならないと思いました。
そうして一悶着あった末に、僕は今、一人暮らしをしています。親からの干渉もなく、かなり自分が成長できたように感じています。(といってもまだまだです。やっとスタートライン)
親の方も、少し考えを改めたのか、以前よりギクシャクとした関係ではなくなりました。
他人と付き合う時と同様、家族であっても、個人を尊重して、バランスをうまくとって接していくことが大切なことだと思います。
お互いに甘えが入ってきますし、なかなか難しいことです。
一人だと大変なことも多いですが、自分で考えて行動することが楽しくもあります。自分について新たな発見をすることもできます。
だいぶ慣れてきてたるんでいるところもあるのですが(笑)
少しずつ、自分の興味関心を広げていけたらなと思っています。
それでは。